傳  山崎 次郎            リンク [傳 山崎次郎2]  [傳 山崎次郎3]                                                                         

(1880〜1958)
(任地、元首よりアグレマンを受けるための謁見の際の大礼服装)


出生より大学卒業まで

1880年(明治13年)1月21日
山崎次郎(和照)は浜松縣三方原村字大窪 
父 会田和保(嘉十郎) 母たけ の次男として出生
(会田家は徳川家光の頃より旗本、
父和保は徳川家茂将軍逝去後、
幕府崩壊にて三方原え。)
1888年
静岡県敷地郡 富塚尋常小学校、都田尋常小学校、
静岡県浜松高等小学校 優等生

1892年 
山崎金重(元浦賀奉行組の同心)の養子に入籍、 浜松市松城27
1894年
静岡縣尋常中学校濱松分校入学
1899年
中学卒業(現 北高校 同校卒業第3回生)
北高校史参照
(竹馬の友:
中村與資平;澤田宏;長延連;川上嘉一)
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[後記1918年頃の浜松]
(在アルゼンチン山崎夫妻宛ての竹馬の友・名物男・住岡栄太郎氏発送絵葉書)

[静岡新聞(夕刊)平成6年(1994年)6月22日●夕刊はままつ●
浜松北高百年人物誌38
 山崎 次郎


1899年 第一高等学校に進学

撃剣部(弥生会)

一高同窓会
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1906年(明治39年)静岡県士族 山崎次郎 東京帝国大学卒業 
法科大学法律学科佛蘭西法兼修
三九会同窓会
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卒業記念写真アルバム 

吉田茂氏と同期、吉田氏は政治学科)(吉田氏写真)
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吉田茂氏は天津え赴任、途中朝鮮京城より、ならびに天津より東京、山崎次郎宛絵葉書
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外交官時代

山崎次郎 1907年 領事官補  広東在勤
1910年 牛荘在勤

1911〜12年頃よりの友人;川嶋信太郎氏;内山岩太郎氏の写真
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 1912年(明治45年)西班牙國在勤(馬徳里)
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大正二年在スペイン・マドリッド帝国公使舘員
荒川公使ご夫妻;若林、北沢留学生、三浦、魚延書記官、内山岩太郎書記生、
公使の後、山崎外交官補
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  1913年 瑞典國皇帝陛下よりシタルワザ第三等甲級勲章
佛蘭西共和国政府よりオフィシェー・ド・ランストリュクション・ピュブリック記章

1914年(大正3年)4月20日 領事 佛國 里昂(リヨン)在勤
6月28日 サラエボの凶変
       7月28日 第1次世界大戦勃発
(クリック)、
在ヨーロッパ要人リヨンに避難。
        リヨン時代詳報
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1915年 巴里在勤
1917年 彼得具羅土(ペテルグラード・ロシヤ)経由東京

イルクーツクで写した集合記念写真

フランス共和國政府
シュバリエー・ド・ロルドル・ナショナル・ド・ラ・レジョン・ドノール勲章

[次郎の旅券]

1918年2月21日 下位 いそ と結婚

2月23日 東京出発 5ヶ月の赴任・新婚大旅行
(クリック)

(地図はクリックすると拡大)

4月3日 華府(ワシントン)着任
6月4日 華府出発

[夫妻の公用旅券]


   7月10日 ブエノスアイレス着任 臨時代理公使(常駐公使舘開設、
その後アルゼンチンと深い関わりを持つに至る。

 (後記の写真図書友好関係史より)

     11月11日 第1次世界大戦終わる。

1919年1月9日 長男 坦 出生 ブエノスアイレス市フンカル街3648
            
     1月10日 平和条約実施委員 パリ講和会議に赴く(妻子をブ市に残し)
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実施委員記念写真(中央軍服より左三人目第二列)
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1月18日パリで重光葵氏の写真を受ける。)
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重光氏モンテカルロよりパリ・デレゲイション山崎宛絵葉書)
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(遡って1916年ロンドン重光氏よりパリ山崎宛絵葉書)

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1920年2月 敗戦國独乙見学。イギリスよりNelson LineのSS”Highland Rover”にて

スペイン(ヴィゴ)、ポルトガル(リスボン)寄港、
海路、5900海里30日の航海後 
    3月中旬任地 ブエノスアイレスに帰任した。     

1921年ソプラノ三浦環女史コロン劇場に来演)
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1922年3月27日 東京着。 
通商局総務課長、欧米局第3課長、(大臣官房翻訳課長兼務)、大臣官房会計課長、
1923年9月1日 関東大震災 
(豊多摩郡渋谷町大字中渋谷716=現在の渋谷区松涛2丁目4)
1925年 日本ソ連を承認、日露条約、國交開始
大使館参事官 ソ連在勤 
出発前・外務省情報部 写真部による写真
外交団シベリヤ鉄道にて、停車駅ごとに大歓迎を受けつつ赴任(写真集)クリック


中央肩章は田中都吉大使、その右が山崎大使館参事官
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  7月14日莫斯科(モスコウ)着任

於 莫斯科・写真

1926年3月14日 猩紅熱に罹る。病後の静養のため里賀(ラトビア)、パリに転地
     6月15日 モスコウ発、30日東京着 

1927年(昭和2年)1月 東京發 3月9日 リオデジャネイロ(ブラジル)在勤

1928年 9月24日 ブエノスアイレス着任 
特命全権公使 駐剳 アルゼンチン國 (兼 パラグアイ國、ウルグアイ國)



公使官邸

公使館員


1930年
駐日武官送別会

大阪商船ブエノスアイレス丸食堂
左より
亜國海軍大将ドメック・ガルシヤ閣下(日本海海戦観戦武官・著書後出);
駐日亜國陸軍武官フアン・サロベ大佐;大阪商船ブエノスアイレス丸神足船長;
亜國大統領アクスチン・フスト閣下;
大統領侍従武官;駐亜公使山崎次郎


  (上の書籍) アルゼンチンと日本
友好関係史
駐日
アルゼンチン大使
ホセ・R・サンチス
・ムニヨス
高畑敏男
監訳 
日本貿易振興会
ジェトロ
発行
1998年
発行
Japon y la Argentina
Historia de sus
 relaciones
JOSE R SANCHES 
MUNOZ


アルゼンチン移民で成功した人 安間達三氏ご家族の写真 1948・12
アルゼンチン関係で成功した人 的場実氏 著作




1932年 2月〜11月賜暇帰朝

1936年 2月6日ブエノスアイレス發 4月3日東京着 12月19日 退官
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退官後
(クリック)
(傳 山崎次郎の第3篇・傳 山崎次郎の余生にリンク)

国際連盟大使、日本赤十字総裁のポストえの勧誘があったが総て辞退して
余生は俳句句吟、日本画の製作を楽しんだ。
任地のヘイフィーバーの影響か、持病の喘息に苦しんだ。

1941年12月8日 太平洋戦争勃発
長男を戦地に送るも、長男は敗戦後無事復員
進駐軍に邸宅を接収され
貧しい生活を強いられたが
趣味を楽しみ
(別途・日本画、俳句関係HP作成中)
孫にも恵まれ
家族に囲まれて幸福に永眠した。
昭和33年(1958年)10月29日享年78歳
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山崎 次郎   外 國 勤 務 年 表

1906年〜1918年  広東、牛荘、マドリッド、リヨン、パリ、在勤
1918年〜1922年、1926〜36年   駐アルゼンチン14年
1922年〜1926年  東京・モスコウ・リオデジャネイロ

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          ア ル ゼ ン チ ン  の  印 象           

タンゴとサッカーの国
パンパの大草原・牛の数のほうが人口を越える
ガウチョの国
しかし
ブエノスアイレスは南米の小パリと言われた
美しい都市である。

コロン・オペラ劇場は世界三大オペラ劇場の一つと言われた。
1921年6月、この劇場で三浦環女史が歌劇「蝶蝶夫人」を演じた。
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日露戦争直前(1904年)ゼノアで建造中の軍艦2隻を割愛してくれた。
後の海軍大臣・海軍大将ドメック・ガルシヤの著書。

日本海海戦
アルゼンチン観戦武官の記録
海軍大佐
マヌエル・ドメック・ガルシア
津島勝二訳 発行 
社団法人 日本アルゼンチン協会




右より2人目ガルシア大将4人目山崎次郎


1933年「日進」「春日」両戦艦の図贈呈の際
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ブエノスアイレス市ボカ港(ボカ共和国と言う)。タンゴ発祥の地。
キンケラ・マルチン画

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昭和6年(1931年)6月4日矢崎画伯招宴・La Pena 会員と
中央黒の夫人が山崎いそ、その左 キンケラ・マルチン画伯
 (クリック

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アルゼンチンの牛の数は人口よりも多いと言う。
限りなく広いパンパ草原のガウチョの勇姿。



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2003・10・29