著者  的場 実

昭和11年9月1日 発行 (非売品)#20/100


 (絵の説明)
プ ヱ ノ ス ・ ア イ レ ス の 女          藤田  嗣治
一眺千里の牧場の若持主はケンブリッヂ、オックスフォード仕込みの紳士である。
国に帰っては金銜銀鞍の騎士となリマテイの茶を啜り数千の野の馬を操る生れ乍らの伊達である。
更にこの幸運児を操リ乗りこなすこそラテン系のアルジャンチンの明眸の女、巴里輸入の流行の先駆者である。
髪は飽くまで黒く光澤藍を流して居る。
唇は石竹の花弁の如く紅にフロりダ街の贅沢店から店へと渡り歩く派手者である。
女の少ない国丈けに女は男の噂の種となり、憬れの的となつて恋歌となりギターの糸にかけられてタンゴの踊りとなつて、此の国の人々は何時までも若々しい。
趣味は瀟洒に社交にかけてはナンバー・ワンであらう。
音楽文学絵画に堪能な姫君が集まつて欧米の芸術家を歓迎する接待振りは直轄地方を順廻する知事様にも想像出来かねる程であらう。
ブエノス・ アイレスのオペラ コロンは世界一の設備完全さを見ても判断が出来る。この都の女は智者である。                         (表紙画並に本文‥藤田嗣治画伯「文芸春秋」より)







著者  的場 実

 序

今、振返つてアルゼンチンやウルガイ
で過して来た過去の頁を播くと、恰も夢の世界のやうで、
そこに現れる自分が異つた別個の人物のやうに思はれて、
何んだかわれと我が手を抓つて見たい気も致します。
その昔時の思想と云ひ動作と云ひ、環境と云ひ、
全く現在の自分とは何等の掛り合ひがないやうにさへ感ぜられます。

併し、あの頃の自分は、忘れやうとして忘れる事の出来ない全く懐しい存在です。
唯今の自分と悉く違つてゐて、その癖同じ肉体を持つ不可思議な人物よ!
 
(中略)

そして、殊にあの偉大なる匿名の同情者、駐亜特命全権公使.山崎次郎閣下の御恩は一生忘れぬと誓って下さい。 昭 和 十一年 四 月             信州の療養所にて
         
(本文ーー小説・略)