1918年ころの濱松

1918年2月山崎次郎が下位いそと結婚。
浜松、東京間旧東海道線、現在の御殿場線で、丹那トンネルも無く、蒸気機関車が重連で、あえぎながら、多数のトンネル毎に機関車の煙になやまされながら箱根を越えて、東京までは7・8時間を要した。
婦人の本式の洋服屋は横浜にしかなかったから横浜でしつらえた。
任地えの赴任が、将に新婚旅行となったが、それは船舶による太平洋横断、北米桑港より、鉄道による大陸横断、ワシントン、ニューヨーク経由、更に任地、地球の裏側のブエノスアイレスまで、船舶による大西洋縦断、ブラジル(写真クリック経由で、着任したのは7月であった。5ヶ月の長旅であった。
竹馬の友の一人、当時浜松の名物男、住岡栄太郎氏(下記末尾に同氏写真挿入)が書いた「浜松の絵葉書」が任地の山崎夫妻に送られてきたた。住岡氏は常々浜松市役所などに出入りして、各種の献策をするやら、ご意見番だったようである。
次に挿入する絵葉書は当時の浜松の面影を伝えて面白い。
裏面の記事は浜松や日本の事情、季節の風景を伝えている。

浜松名勝
新川橋より停車場を望む
浜松名勝
歩兵第六十七聯隊
浜松名所
市街田町通り
Famous place of Hamatsu
濱松名所
停車場前通り
Famous place of Hamamatsu
鹿谷園 濱松名所
市街蓮尺通り
Famous place of Hamamatsu
濱松名物凧揚の實況
(松柏堂文具店發行)
辨天島土地株式会社  辨天島樂園
秋葉神社
山崎次郎夫人(旧姓・下位)いその実家
下位織物株式会社
当時先端の輸出・人絹織物工場(自動織機)
場所は森田町のはずれ、東海道沿い、
現在の西濃運輸の附近。
戦時中徴用され飛行機部品工場であった。
周辺には蓮田が多くあった。

1923年頃住岡栄太郎氏と山崎坦(次郎長男)